第5回【番外編】身の回りを清潔にするということ
今回のテーマはお読みの方からすると、個人的な考え方を共有したく、このテーマにした。
道端のゴミ問題といえば渋谷のハロウィンが有名だが、皆さんは道端や会社の中でゴミを拾ってるだろうか。
この質問で「はい」という方の理由の一つとしては、周りから褒められたり、一つ何かしらの承認を得るためにゴミを拾うという方が多いかと思う。
そういった誰からも承認が無ければゴミを拾わないと言う人に、もう一つ別の考え方があることを共有したい‼
それは、「私的空間が汚れていることを許してしまう自分が許せないために清潔にするということ」である。
つまり一言で言うと、汚い空間を許してしまえば、汚い自分自身を許してしまうということである。汚い空間が許せなければ自ずから綺麗にするので、自尊心も保てる。
この考えを持つことで、自ずから綺麗にし承認欲求と関係がなくなるのである。
私は汚い空間は極力避けるようにしている。もちろん汚れているという感じる範囲は人それぞれ。潔癖症になれ‼というわけではないが、汚い環境に慣れてしまっている方は、なんとなく汚いイメージが、日常の振る舞いからも出てくるので注意したい。
整頓について言えば、仕事・日常生活関係なく無駄な作業というものが「無くしたものを探す作業」である。探す行為は何も生み出せず、見つけたとしても存在していたものが、見つけただけである。生産性を上げるためにも定期的な整理整頓は欠かせない。
整理整頓ができない方には、「整理整頓は何を捨てるか?」というキーワードを持ってくむと理解しやすいのではないだろうか。あったものを元の場所に戻すのではなく、以下に不要なものと判断し、捨てる選択ができるかが鍵となる。整理整頓=捨てることである。
一見関係ないように思えるが、捨てる行為は判断力を養うことが可能だ。捨てた後に捨てなきゃ良かったと後悔する経験が後々生きてくるのである。テンポよく物を捨てていき、後悔していこう。徐々に判断力がついていき、整頓に時間をかけずとも整頓が可能となる。
以上の思考法を持つ人が多くなることで、承認欲求を満たせずとも身の回りを綺麗にしようという意識が持てるのではないだろうか。
補足すると、「身の回り」という空間が自分の家の中だけなのか、今住んでいる地域全体なのか、地球全体なのかで意識改革の範囲が大きく異なるが、承認欲求を考慮せずとも、自主的な清掃活動が広がっていければ幸いである。